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東京高等裁判所 昭和63年(う)1257号 判決 1989年7月31日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中二〇〇日を原判決の刑に算入する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人喜田村洋一名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官山崎基宏名義の答弁書に各記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一点(事実誤認の主張)について

一  弁護人の主張

所論は、要するに、原判決は、被告人が運搬した品物が、日本に持ち込むことが禁止されている違法な薬物であるとの認識を有していたとして、被告人に本件の覚せい剤取締法違反罪の故意があったと認定しているけれども、原判決は、以下の点で誤っている。すなわち、

1  被告人には、運搬した品物が違法な薬物であるとの認識はなかった。

2  原判決は、被告人が自分の搬入した物について「違法な薬物」であるとの認識を有していたと認定するにとどまり、それ以上に、当該物が覚せい剤である旨の認識を有していたとは認定していない。しかし、覚せい剤取締法違反罪が成立するとされるためには、対象物が同法にいう覚せい剤に当たるという認識を有していることが必要であって、「違法な薬物」であるとの認識を有していただけでは、覚せい剤取締法違反罪の故意として不十分である。日本への持込みが禁止されている違法な薬物には多数の種類があるから、なんらかの「違法な薬物」であるとの認識があるとの抽象的な認識によって、違法な薬物のうちの覚せい剤である旨の認識があった、あるいは覚せい剤取締法違反罪を構成する故意が成立するとみるべきではない。

したがって、被告人に覚せい剤取締法違反罪の故意の成立を認めた原判決は、明らかに事実を誤認したもので、この誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

二  故意の成立についての当裁判所の法律的見解

1  覚せい剤輸入罪・所持罪が成立するためには、輸入・所持の対象物が覚せい剤であることを認識していることを要するが、この場合の対象物に対する認識は、その対象物が覚せい剤であることを確定的なものとして認識するまでの必要はなく、法規制の対象となっている違法有害な薬物として、覚せい剤を含む数種の薬物を認識予見したが、具体的には、その中のいずれの一種であるか不確定で、特定した薬物として認識することなく、確定すべきその対象物につき概括的認識予見を有するにとどまるものであっても足り、いわゆる概括的故意が成立する。したがって、行為者が、認識予見した数種の違法有害な薬物のうちの一種であるが、その中のいずれとも決し難い場合であっても、その概括的認識対象の中に覚せい剤が含まれている以上、これを認容した上、あえて対象物の輸入・所持の各行為に及んだときは、実際に輸入・所持された対象物の客観的な薬物の種類に従い、すなわち、それが覚せい剤であれば覚せい剤の輸入罪・所持罪が成立すると解するのが相当である。

2  上記の意味における覚せい剤輸入罪・所持罪の概括的故意が成立するための対象物に対する認識予見は、単に抽象的になんらかの違法な薬物類を漠然と認識予見していたという程度では足りず、麻薬、覚せい剤、大麻等法規制の対象となっている具体的な違法有害な薬物の認識予見とその中に覚せい剤が含まれていることが必要である。言葉を換えていえば、確定すべき対象物に対して、具体的な違法有害な薬物を概括的に認識予見する際に、認識予見の対象から覚せい剤が除外されていないことが必要である。

3  原判決は、罪となるべき事実において、故意の点を含め、覚せい剤の輸入・所持の各事実を認めた上、その補足説明の中で、被告人が、本件対象物につき、「少なくとも、それが、日本に持ち込むことを禁止されている違法な薬物である、との認識まで持ったものと認めざるをえないのである。そして、被告人が対象物に関する右の程度の認識の下に、現実に覚せい剤の隠匿されているベスト(私製腹巻)を着用して本邦に上陸し、覚せい剤を輸入した以上、被告人に右薬物が覚せい剤取締法二条にいう覚せい剤に当たるとの明確な認識がなかったとしても、被告人において覚せい剤取締法違反(覚せい剤輸入)罪の故意の成立に欠けるところはないものというべきである。」と説示するところ、原判決の右説示は、所論の指摘するように理解される余地がある点で、いささか不十分の誹りを免れず、判示方法として適切さを欠くきらいがないではないが、原判決の判文全体の趣旨に徴し、その趣旨とするところは、上記1および2と同様の見解に立つものと解せられる。

4  そして、後記所論の錯誤論は、行為者が認識予見していたところと、実際がくい違う場合の問題であって、本件で問題となる概括的故意の場合には、行為者が一定範囲内の物を概括的に認識し、実際においてもその物がその概括的認識内の物であったのであるから、錯誤の問題は生ぜず、実際上その物がその概括的認識外の物であった場合にはじめて錯誤の問題が生ずるに過ぎない。

三  本件覚せい剤輸入罪・所持罪の故意の成否についての当裁判所の判断

1  関係証拠によれば、原判決がその補足説明一の1において、被告人が、「遅くとも飛行機のトイレの中で本件覚せい剤が隠匿されたベストを着用した段階では、ベストの中に入っている内容物の中味を直接目にしていないが、その形状や外部から触った手触り等から、過去にコカイン等の薬物を使用した経験を有する被告人としては、少なくとも、それが、日本に持ち込むことを禁止されている違法な薬物である、その認識まで持った」とする認定および説示は、その判断過程を含め、正当としてこれを是認することができる。

2  マフィア等の犯罪組織が麻薬・覚せい剤等違法な薬物を密輸しようとする場合、発覚の危険を回避するために、組織外の怪しまれにくい人間を利用することが少なくない。そして、この場合、組織の一員でない運び役に対しては、運搬する品物が何かを明かす必要はなく、むしろ知られない方が好都合であって、運搬する品物が何かを明かさず、あるいは虚偽の当たり障りのない品物の名を挙げるにとどまる場合が少なくない。

他方、密輸品の運搬役を依頼された運び役としては、依頼主等から運搬物が何であるかいわれたとしても、それをそのままたやすく信ずることはできず、疑念を抱かざるを得なくなって、改めて自分なりにそれが何であるかを考えざるを得ない場合も少なくない。また、運び役が、依頼主から運搬物が何であるかを明かされておらず、その対象物の中味を直接目にすることができないため、そのものが何であるかを確定的なものとしては知り得ないとしても、自己が運搬する物の形状、感触、運搬方法、隠匿の仕方等運搬物をめぐるあらゆる事情を総合して、それが一体何であるかをあれこれ詮索して、自分なりの一応の予測を立て、その上でその物を運ぶことの危険性の程度と、それによって得られる報酬や利得等を天秤にかけて、運搬依頼を引き受けるべきか否かを考え、あるいは、密輸行為への着手・遂行・中止・離脱を考えるのが人間の心理として自然な姿であると考えられる。そのためには、必然的に自己が運搬する物が一体何であるかについて強い関心を払わざるを得ない。したがって、組織の一員でない者が運び役を果たす場合には、自己が運搬する対象物が何であるかを、確定的なものとしては認識することができず、概括的に認識するにとどまる場合が少なくない。

しかるところ、本件における被告人は、音楽演奏家として、台湾で演奏活動をしていた者で、違法な薬物類の密輸入をする犯罪組織の一員ではなく、P・C(以下、Cという。)に依頼されて、運び屋の役割を果たしたに過ぎない。被告人は、Cから「ある物」を日本に運ぶようにといわれて、本当は何かと聞きただしても、「心配するな。」というような曖昧な返事しか得られず、さらに追求すると「化粧品」であるといわれた。しかし、Cの尋常でない運搬依頼の強要、本件対象物の運搬には多くの人手と用意、多額の費用がかけられていること、本件物の密輸方法、特にその隠匿携行の態様、同じ飛行機に乗りながら極力関係のない者同士のように振る舞うCの態度等から、それが真実「化粧品」であるとは到底受け取れず、不信を抱かざるを得ない事情にあったことは原判決が説示するとおりである。被告人としては、本件物が何であるかについて、強い関心を持つのが当然の状況下にあった。

3  かようにして、本件は、覚せい剤についての概括的故意の存否が問題となる事案であり、本件の核心は、前述のとおり、叙上の被告人が認識していた「日本に持ち込むことが禁止されている違法な薬物」の中に、概括的にしろ覚せい剤の類を認識予見していたか否かということである。すなわち、言葉を換えていえば、本件において確定すべき対象物に対して、被告人が違法有害な薬物を概括的にしろ認識予見するに際して、覚せい剤が認識予見対象から除外されていたのかどうかということである。

そこで、検討するに、原判決挙示の関係証拠によれば、本件において確定すべき対象物に対して、被告人が概括的に認識予見していた違法有害な薬物類の中に覚せい剤が含まれていたこと、すなわち、その際の認識予見対象から覚せい剤が除外されていなかったことが優に認められ、原審で取り調べたその余の証拠及び当裁判所の事実取調べの結果を加えて検討してみても、右認定を左右するに足りない。以下、この点に焦点を当てつつ、敷衍して説明する。

4  関係証拠によれば、以下の事実が認められる。すなわち、

(1) 被告人が本邦に持ち込んだ本件対象物(当庁昭和六三年押第四三三号の2、3は、その一部である。)の形状は、そのもの自体を見れば明らかなように、氷砂糖状・岩塩状様のものを主とする白色結晶物である。被告人がベストを着用した飛行機のトイレ内は、被告人一人の密室であり、右白布製のベストを点検できる状況にあった。そのベストは五個の袋状様に仕切られていて、その中にはそれぞれ不透明のビニール袋に入れられた上、茶色の包装紙で包まれた本件対象物が収納されており、中味を直接目にすることはできない状況にあったが、被告人は、右のように、右トイレ内で、本件対象物が収納された右白布製ベストを素肌に直接巻き付けるようにして着用した際に、その布を通してその物を肌で感じた上、右ベストの外部から手で触って確かめた(被告人は、外部から触った手触りが粉末状の物を平らに固く詰めたものと感じたと供述しているが、H・C・S<以下、Hという。>は、司法警察員に対する昭和六三年四月一四日付供述調書において、本件物が入った開封前の右ビニール袋の表面はデコボコしていたと供述していて、内容物が結晶状様物であることが外部から分かる状況にあったことを示唆している。)。

(2) 被告人は、本邦に入国後、ホテルニューオータニで、右ベストをはずしこれをCに渡して、当初の依頼の趣旨である本邦への運び役を果たしたが、さらに、同人から日本に残りHの手伝いをするように指示されてこれにも応じ、以後Hに従って行動することとなった。そして、本邦への入国の翌日、同ホテルの八五四号室において、Hが、前記ベストから出されてスーツケースの中に収納されていた茶色の包装紙で包まれた物五個を取り出し、鋏で包装紙を切り開き、中に入っていたビニール袋五袋から本件の物である白色結晶物を秤で計量しつつ新しいビニール袋三袋に移し替える作業をした。その際、これを目撃した被告人は、CからHの手伝いをするようにいわれていたので、当然のこととして、Hが移し替えやすいようにビニール袋の口を手で持ち、詰め替え作業を手伝ってやった。

原審証人Hの供述によれば、この作業中に、被告人が、Hに対して、「これは何だろうか。これがクリスタルだろうか。」(What is that? Is this the crystal?)と尋ね、Hは、「そうだ、これがクリスタルだ。多分、いい気分になるようなものだ。」(Yes, It is the crystal. May be makes you feel good.)と答えたことが認められる。被告人は、自分の方からHに対して、「クリスタル」という言葉を用いて質問したようなことはなく、Hに「これは何か。」と聞くと、同人は、「これはクリスタルといって、グッド・ムードになるものだ。」といったと供述する。しかし、被告人とHとの間で、「クリスタル」という言葉が出たこと、それが話題になったこと自体については争いがない。しかも、Hが、この部分につきことさら虚偽の事実を述べたものとは認め難い。かつまた、被告人とHとの供述内容を比較検討するとき、Hの供述の方が信用できるものと認められる。

(3) Hは、検察官に対する昭和六三年四月一五日付供述調書において、本件の首謀者とみられる乙野から台湾で聞いた話で、Hが被告人から受け取ることになっている品物が、「気分がよくなるような薬の一種」であることは分かっていた、はっきりとヘロインとかアンフェタミンであるとまで考えたわけではないが、それに良く似た物と感じていた、と供述しており、同人は、本件対象物が麻薬類か覚せい剤等の違法有害な薬物であることを概括的に認識していた。

(4) 被告人は、Hから「これはいい気分がするものだ」といわれて、その物を舐めてみれば、自己の薬物経験に照らし、それが何であるか直ちに分ると考え、本件対象物を少し舐めてみた。すると、苦い味がして、被告人にはかつて使用したことのあるコカインではないように感じられたが、麻薬の一種だろうと判断して、テーブルの上にこぼれ落ちていた結晶が少量あったので、これをホテル備え付けのメモ用紙に包み自分の財布に仕舞い込んで逮捕時までこれを所持していた。

(5) 被告人は、上記のように、Hの詰め替え作業を手伝った際、本件物を直接目にし、これについてHに聞き質したり、舐めてみたり、こぼれ落ちた結晶を麻薬の一種だろうと判断して拾い集めたりしたが、その間の被告人の行動・態度には、自己の予想外のとんでもない物を運ばされて驚愕しているといった様子や怒りを露にするといった様子は、本件証拠上全く窺えない。被告人は、右の詰め替え作業を手伝った後も、Cの指示に従いHと行動を共にし、Hが詰め替えた三袋の中の一袋を他に処分した際にも同行した。

5  右事実関係を前提にして、前記(2)の詰め替え作業の際の被告人とHとの会話につき、さらに、検討する。

(1) 右会話は、氷砂糖・岩塩状のものを主とする白色結晶物である本件対象物を目の前に置いて交わされたものであるから、改めてその物が結晶であるかどうかの問答を交わす必要はなく、したがって、ここでいう「クリスタル」という言葉は結晶の意味で用いられたのではなく、特定の物の名を指す言葉として用いられていることが明らかである。そして、被告人とHは、互いに同じ意味を示す言葉として「クリスタル」という言葉を用い、「クリスタル」と呼ばれる物が両者にとっては自明の物であったことが推認される。そして、Hが既に日本に来る以前から、本件物が麻薬か覚せい剤等の違法有害な薬物であることを概括的に認識していたことは前記認定のとおりであり、同人がこれらの薬物を念頭に置きつつ上記のような会話をしたものと推認される。

(2) ちなみに、当審で取り調べたアメリカ合衆国司法省麻薬取締局発行のファクトシーツと題する小冊子によれば、メタンフェタミン、アンフェタミン、すなわち覚せい剤は、多様な形状で流通しており、それらの俗称・隠語には多くのものがあるが、「スピード」「メス」「クランク」のほか「クリスタル」とも呼ばれているとされ、ニューヨークタイムズ一九八八年一一月二七日号(写し)、ザ・U・Sジャーナル一九八九年二月号(写し)、新潮選書「FIX-世界麻薬コネクション」末尾の麻薬アングラ用語集(新潮社刊)、新英和大辞典第五版(研究社刊)にも、アメリカでは、メタンフェタミンのことを「クリスタル」と呼ぶことがあり、覚せい剤を意味する言葉として用いられていることがあるというのであって、これをも併せ総合すると、本件において、被告人とHとの会話で出てきた、「クリスタル」という言葉も覚せい剤を指す隠語として使用された蓋然性が非常に強いといわざるを得ない。「クリスタル」という言葉が覚せい剤ないしは麻薬の意味で用いられことがあることを知らなかったとする被告人の原審及び当審公判廷における各供述は、たやすくこれを信用することができない。

(3) そして、被告人が、Hに対して発した「これは何だろうか。これがクリスタルだろうか。」という質問の前段に重点を置けば、被告人は、ビニール袋から出された本件対象物そのものを直接目にした時点で、はじめて「クリスタル」を思い浮かべたようにみられる。しかし、後段に重点を置けば、それ以前から、被告人が「クリスタル」を含む違法かつ有害な薬物を概括的に認識予見していて、その中のどの物かまでは特定して認識していなかったところ、本件対象物を直接目にして、それが自分が認識予見していた「クリスタル」なる物と同一物ではないかとして、それを確かめようとして、Hに対して、「これがクリスタルだろうか。」という質問を発したものとみられるのである。このように、この文言は、言葉の上からだけでいえば、上記いずれとも解される余地があるけれども、そのいずれであるかは、この文言だけでなく、本件の事件全体の流れの中において考える必要がある。しかるところ、前記4で認定した事実関係、殊にその(4)(5)で認定したように、被告人は、本件対象物を直接目にしたり、舐めてみたりして、それが被告人のいう麻薬類(被告人のいう麻薬類の意味については、後記6(1)<3>で説示する。)らしいと予想していること、本件対象物の詰め替えを手伝ったり、Hと右の会話を交わした際の被告人の行動・態度には自己の予想外のものを運ばされて驚愕しているといったような様子が全く窺えないこと、被告人がテーブル上にこぼれ落ちていた結晶を拾い集めたり、詰め替えた三袋の中の一袋をHが他に処分した際にも同行していることなどを併せ考えると、被告人は、ビニール袋から出された本件対象物そのものを直接目にして、はじめて「クリスタル」を思い浮かべたというのではなく、既にそれ以前の飛行機内で本件対象物が収納されたベストを身体に着用した時点から「クリスタル」を含む違法有害な薬物を概括的に認識予見していたものと推認される。すなわち、被告人が本件対象物を本邦へ密輸入することに成功した後の行動に徴し、本件対象物が被告人が本邦へ入国する以前に予想していた範囲内の物であったことを窺わしめるに十分であって、被告人が、本件対象物が覚せい剤であることが分っていたならば、本件の覚せい剤の密輸入及び所持の犯行を思い止まったであろうと推測せしめるような事情は全く窺えない。

6  被告人の本件対象物に対する認識予見の範囲・内容、すなわち、被告人が認識予見していた「日本に持ち込むことが禁止されている違法な薬物」の中から、覚せい剤が除外されていなかったことの素地となる被告人の違法有害な薬物に対する知識・経験等について

(1) 関係証拠によれば、以下の事実が認められる。すなわち、

<1> 被告人は、アメリカ合衆国カリフォルニア州で生まれ育ち、大学の音楽科を卒業してドラマーとなり、ジャズ・ロック・ニューウェーブなどの音楽演奏の一員として、アメリカ合衆国内をはじめ、カナダ、オーストラリヤ、東南アジアの各国など十数カ国を歴訪して演奏活動をしたのち、昭和六三年(西暦一九八八年)一月二二日ころからは台湾のナイトクラブで稼働していた。被告人は、アメリカで音楽活動をするにあたって、自ら何回かコカインやマリファナを吸った経験がある上、演奏仲間にはこれら違法・危険な薬物を用いていた者も少なくなく、これら薬物の乱用により死亡したり、健康を害したりした者のことも見聞していて、これらの薬物嗜癖に陥って健康を害したり、演奏家としての活動に支障をきたさないように自ら注意を払いつつ演奏活動をしてきた。

<2> 被告人は、既に地元のカリフォルニア州の高校に在学していたときに、保健の授業の中で映画のフィルムを見せられるなどして、身体に使用してはいけない有害で危険な薬として、ヘロイン、コカイン、ダウン、アンフェタミン、アッピー、スピード、安非他命、ハッシュなどといわれている物があることやそれらの形状等については教わっていた。かようにして、被告人は、未成年者のころから麻薬・覚せい剤を含むこれら違法かつ身体に有害な薬物類についての一般的・常識的知識を持っていた。被告人は、右の保健の授業やこれまでの薬物の使用経験及び見聞等から麻薬・覚せい剤類には多数の種類・形状のものがあり、呼称もいろいろあって、被告人の知らない呼称・形状・種類のものがあることも分っていた。

<3> 右のアンフェタミン、アッピー、スピード、安非他命と呼ばれているものは、いずれも我が国でいう覚せい剤と同一物であり、台湾では、覚せい剤は安非他命と呼称されている。被告人は、これらをも麻薬の一種であるとして認識していた。したがって、被告人が認識していた麻薬類というのは、我が国の覚せい剤取締法上の覚せい剤やあへん・大麻などの他の薬物取締法上の薬物と区別された麻薬取締法上の麻薬に限定したものではなく、それらを全て包含したところの薬理作用により心身を害する恐れのある違法有害な薬物一般を意味する。

<4> 被告人は、台湾のマフィア組織には中国人しか入れないのではないか、したがって、アメリカ人のCはそのメンバーにはなれないのではないかと思っていたが、台湾でマフィアの組織に属する人達は、髪をカールしていたり、パーマをかけたりすることが多く、Cが一緒にいた人達の中にはそういう人達が多かった上、CからHを紹介されて同人に会ってからは、Cも台湾マフィアの一員ではないかと思いはじめるようになった。さらに、Cが被告人に対して台湾から日本へ本件物を運搬するように依頼するに際して、被告人に是が非でも承諾させようと、被告人のパスポートや現金を奪った上、これらを被告人に返還するのと引換えに右運搬を引き受けるように強要し、右依頼に応じないときは被告人の女友達にまで危害を加えるといって脅し、被告人がCに対して警察に行って訴えるといって反発しても、同人は行くなら行ってみろとうそぶき、全く動じないので、被告人はCが台湾の警察ともぐるになっている台湾マフィアの一員に違いないと思うようになっていた。

(2) ところで、被告人の地元であるカリフォルニア州の高校で、右のような違法有害な薬物についての授業が実施されたのは、そのような授業を必要とする背景事情があったからにほかならず、それは同州内において、青少年らの健康を蝕む恐れのある違法有害な薬物の蔓延状況の存在を推測させるものである。ちなみに、当審で取り調べたカリフォルニア州保健安全法中の統一規制物質法(関係部分の写し)、前述のファクトシーツと題する小冊子、ザ・U・Sジャーナル一九八九年二月号、ザ・ニューヨークタイムズ一九八八年一一月二七日号等の新聞雑誌、わが国で発行されている公刊物に発表された「諸外国における薬物乱用の現状」、「世界の薬物情勢」と題する論文などの証拠によれば、覚せい剤に限ってみても、同州では、保健安全法によって、覚せい剤が違法有害な薬物のひとつとして、その所持、販売等が禁止され、処罰の対象とされている上、アメリカ合衆国では、従来コカイン等の麻薬類の蔓延が社会問題となっていたところ、西暦一九八〇年代の半ばころからは、急速に覚せい剤が蔓延するようになって大きな社会問題となってきており、カリフォルニア州をはじめとするアメリカ合衆国の西部地方でも、顕著な傾向を示しつつあり、これらのことが、再三、新聞雑誌等でとり上げられ、覚せい剤の密造所の摘発、流行状況、覚せい剤には白色の粉末状あるいは結晶状のものがあることなどその形状、呼称、隠語、使用方法等の記事が掲載され、一般人においても、覚せい剤について相当程度知識を持ち得る状況にあり、近時、覚せい剤は、麻薬や大麻とともに代表的な違法有害な薬物として知られるようになっていることが窺える。したがって、日本のみならず、アメリカ人においても、代表的な違法有害な薬物としては、麻薬類、大麻類とともに覚せい剤の類を想起するのが通常の状況にあるものと推認される。しかも、被告人は、前記のとおり、自ら麻薬や大麻を使用した経験を有し、かつ、周囲にこれら薬物の使用者が多いという環境下で音楽活動をしており、一般人よりもこれら違法有害な薬物についてより広くかつ深い知識と関心を持って当然の状況がある。したがって、被告人が本件対象物に対して概括的に認識予見していた違法有害な薬物の中から覚せい剤が除外されていたような事実はなんら認められない。

(3) 被告人は、原審公判廷で、アメリカのマフィアは、金儲けのためには何でもするし、麻薬・覚せい剤などの密売などもしているが、台湾の中国系のマフィアがアメリカのマフィアのように麻薬などを扱っていることについては思い至らなかったと供述している。しかしながら、被告人としては、自分がCを通じて、台湾マフィアの手先として運び屋をやらされている可能性が強いことを認識していたのであるから、黒幕の台湾マフィアがどのようなことをしているのか、自分に何を運ばせようとしているのかについて関心を抱くのが当然であり、そのマフィアがやりそうな事柄について考えを巡らせる中で、アメリカのマフィアと同様麻薬・覚せい剤等の密輸・密売をしているのではないかということにも考えが及ぶのが自然であって、台湾マフィアが麻薬などを扱っていることについては全く思い及ばなかったという被告人の供述は、たやすく信用することができない。

7  なお、弁護人は、(1)被告人は、Cから運搬するものは化粧品である旨を何度も言明されていたこと、同年中に化粧品を日本に運搬したことがあったこと等とならんで、本件物は台湾の保税管区から受け取ったものであることから、その物が違法な物ではないと信じた。(2)Hは、原審第三回公判廷において、「被告人は、私に、このクリスタルは何かと尋ねたところからみると、被告人自身も物が何か知らなかったと思う。」との供述をしていることからみても、被告人が本件対象物が何であるか知らなかったことは明らかであると主張する。

しかしながら、(1)被告人は、自分が一体何を運ばされるのかについて強い関心を持たざるを得ない状況があった上、たとえCから運搬するものがバスパウダーとか化粧品といわれていたとしても、たやすくそれを信じ難い状況があり、それが本当にCのいうようなものであるのかどうかについて強い疑問を抱かざるを得ない状況にあったことは前記認定のとおりであって、被告人がたやすくCの右説明を信用し、特段の詮索もせず、言われたとおりの品物であると考えたとは、到底認め難い。そして、被告人は、本件以前にも香港で知り合った男から依頼されて香港から本邦にバスパウダーを運んだことがあるというのであるが、被告人はその際には、出発前にスーツケースに入ったバスパウダーの箱を確認したというのであり、依頼主、依頼されたときの状況や運搬の方法が本件とは大きく異なるのであり、前記のような本件の台湾マフィアの絡みや、強引な依頼の仕方、厳重で綿密な隠匿方法などに照らすとき、今回運搬する品物もバスパウダーだと思ったとする被告人の供述は到底信用することができない。そしてまた、所謂ボンドシステムは、旅行客が旅行先の国内に物を持ち込まないで預けておき、出国の際にこれを引き取ることができるようにするための一次預かり制度であって、大蔵事務官渡辺伸一作成のボンドシステム調査報告書及び検察官作成の昭和六三年八月八日付電話聴取書によれば、本邦においても、台湾においても、税関の検査ブースを通ることなく、保税コーナーへ行くことができ、旅行客が初めから保税コーナーの利用を申し出れば、税関職員は、その品物を検査することなく、これを預かり保管しておくことになっていることが認められる。そして、他国で所持することができる物であっても、当該の国には持ち込んだり所持することが許されないような物については、税関職員において保税コーナーを利用するよう告げることがあるかもしれないが、ある国の保税コーナーで預かっていた品物であるからといって、そのことゆえに他の国に持ち込むことが許されることになるものではないことも自明である。被告人は、Cが台湾のマフィアと関係があり、しかも台湾の警察ともぐるになっているのではないかと思っていたというのであり、本件が台湾の政府機関をも抱き込んで行われるものではないかとの危惧感を抱いている被告人としては、むしろ本件物が正当な手段方法では日本に持ち込むことのできない物であることの認識を持っていたことが明らかというべく、本件物を台湾の保税管区から受け取ったことをもって、そのものが違法な物ではなく、日本に持ち込むことが許される物であると思っていたとの所論は到底採りえない。

次に、(2)について、なるほど、Hの原審公判廷における供述中には、所論が指摘するような供述部分が存するけれども、それは被告人が本件対象物が何であるかを確定的なものとしては知らなかったことを意味するに過ぎず、上記の検討結果に徴して、被告人としては、運搬した品物が覚せい剤を含む叙上の被告人のいう麻薬類ではないかと予想しつつも、その中のどのような薬物か特定して認識していなかったので、それを特定しその具体的な名称を確かめようとして、Hにそれが何であるかを尋ね、自分でこれを舐めてみたりしたものと推認されるのであって、Hの上記供述をもって被告人が本件対象物につき覚せい剤を含む違法有害な薬物を概括的にも認識予見していなかったことの証左となるものではない。

8  以上、被告人の麻薬、覚せい剤に対する知識と経験・見聞・依頼主のCが素性・行状の怪しい台湾マフィアとのつながりも窺われる人物であること、依頼された運搬物の内容について一般人が当然不審を抱かざるを得ないような状況が存在したこと、本件物の隠匿搬入の態様、本件物の性状についての被告人の感触、被告人が本件物についてHと交わした話の内容、詰め替え作業を手伝ったり、Hと行動を共にした際の被告人の態度等を総合すると、遅くとも、被告人が飛行機内でベストを着用する段階では、本件物を覚せい剤であると特定して認識していたとまでは認め難いものの、本件物が覚せい剤を含む叙上の身体に有害な違法薬物類であることを概括的なものとして認識予見しつつ、本邦への運搬行為に出たことが認められるのであって(大麻をパイプを用いたり、大麻煙草にして吸ったことが何回かある被告人としては、本件物に対する感触からして、飛行機内で前記のベストを身に着けた以後は、本件物が大麻草あるいは大麻樹脂等の大麻に属する物ではないことを認識していたものと認められる。また、被告人は、ホテルニューオータニで本件物を詰め直した際にこぼれ落ちた本件物を舐めてみて、苦い味がしてコカインではないと思ったというのであり、それ以後は本件物をコカイン以外の叙上の被告人のいう麻薬類と認識していたことが認められる。)、少なくとも覚せい剤取締法の規制対象である覚せい剤に対する概括的故意があったものと認めるのが相当である。したがって、被告人が本件対象物が覚せい剤を含む叙上の違法で有害な薬物である可能性を認識予見しつつ、これを認容し、あえて現実に覚せい剤を輸入したり、所持していた以上、その対象薬物の客観的な薬物の種類にしたがって、覚せい剤取締法違反罪が成立するものというべく、原判示第一の覚せい剤輸入罪及び同第二の覚せい剤所持罪の成立を認めた原判決の事実認定に誤りは認められない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(法令の解釈適用の誤りの主張)について

一  弁護人の主張

所論は、

1  仮に、被告人に、本件対象物について違法な薬物であるという認識があったものとして、その限度で被告人の故意を認定しようとするのであれば、軽い甲罪を犯す故意で重い乙罪を犯した場合には、甲罪の限度で罪責を負うという原則の当然の帰結として、輸入罪を有する各種の薬物のうち最も法定刑の軽い大麻輸入罪の故意があるものとされなければならないから、本件については大麻取締法違反の限度でしか故意責任を問い得ない。したがって、覚せい剤取締法違反を認めた原判決は、明らかに判決に影響を及ぼすべき法令の解釈適用の誤りがある。

2  貨物を輸入すれば当該貨物を所持するに至ることは当然の帰結であり、仮に、被告人に覚せい剤輸入罪の成立を認めるのであれば、その後の被告人の覚せい剤所持は、当然に覚せい剤輸入罪に包摂されているものとして不可罰である。したがって、この点について、覚せい剤所持罪の成立を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈適用の誤りがある、というのである。

二  当裁判所の判断

1について、前記認定のとおり、被告人には本件の覚せい剤輸入罪及び所持罪につき、いずれも概括的故意の成立が認められる上、本件対象物はその概括的認識の物であったのであるから、上記控訴趣意第一点についての二の4において説示したとおり、本件において錯誤の問題は生ぜず、所論は前提を欠き失当たるを免れず、右各罪の成立を認めた原判決に所論の法令の解釈適用の誤りは認められない。

2について、関係証拠によれば、被告人は、ビニール袋五袋に分包した本件覚せい剤をベスト内に収納したものを身体に着装して隠匿携行し、昭和六三年三月二八日新東京国際空港に到着し、航空機から本邦に降り立ち、同空港内の旅具検査場を通過した上、ホテル・ニューオータニに至り、同ホテル三九一号室において、ベストごとCに渡し、これにより被告人の本邦への運び役は終わったことが認められる。したがって、輸入行為に必然的に伴う所持は、輸入行為の終了まで、遅くとも叙上の本邦への運び役終了迄の所持に限られ、それについては密輸入罪に吸収されて所持の別罪を構成しない。しかしながら、原判決第二の覚せい剤の所持は、輸入とは離れたそれ以後の別個独立の所持と認められるのである。すなわち、関係証拠によれば、被告人は、先に台湾に帰るというCから、日本に残ってHを手伝うようにいわれて、それ以後Hに従って行動することとなったこと、Hは、Cから被告人の協力を得て本件覚せい剤をKと名乗る男に譲渡するように命じられ、翌三月二九日その後移動した同ホテル八五四号室において、被告人の協力を得て五袋のビニール袋に入っていた右覚せい剤を約一キログラムずつ三袋のビニール袋に詰め替えた上、同月三〇日、その中の一袋をKに譲渡し、その余の二袋を右八五四号室において、被告人が私物を入れて台湾より持参してきたスーツケースの中に入れて所持していたことが認められ、原判示第二の覚せい剤所持は、この同月三〇日ホテル・ニューオータニ八五四号室におけるHとのビニール袋二袋に入った覚せい剤結晶約一九九九・五グラムの所持の事実である。以上の経過からすると、本件の同月三〇日の所持は、その日時、場所、態様、詰め替えによる荷姿の変化、量等からみて、本件密輸入に必然的に伴う所持とは別個独立の新たな所持と認められ、原判示第一の覚せい剤輸入罪のほか、同第二の覚せい剤所持罪を認めた原判決に所論の法令の解釈適用の誤りは認められない。

論旨は理由がない。

控訴趣意第三点(量刑不当の主張)について

一  弁護人の主張

所論は、要するに、原判決の量刑は重過ぎて不当であり、刑の執行猶予を付すべきである。殊に、(1)被告人が自分の女友達への身体的危害並びに自分に対する経済的その他の損害を回避するために、やむなく今回の事件に巻き込まれていったことについて、原判決も認めているところではあるが、それが刑の量定にあたって十分に考慮されていない。(2)二〇〇〇ドルという営利を目的として犯行に及んだHに対する量刑と比較するとき、被告人に対する量刑は不当である、というのである。

二  当裁判所の判断

原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討すると、本件は、被告人が、Cと互いに意思を通じたうえ、覚せい剤結晶約三キログラムを本邦に密輸入(原判示第一の事実)、そのうちの約二キログラムをHと共謀の上、都内のホテルの客室でスーツケースの中に隠匿所持していた(原判示第二の事実)という事案であるところ、その罪質が重いこと、密輸入した覚せい剤の量が大量であり、我が国における保健衛生上多大の害悪を及ぼす危険をもたらしたこと、ベストの中に隠匿携行するなど隠匿方法が巧妙であること、ビジネスマンを装い首尾よく通関線を突破して大量の覚せい剤を本邦に持ち込むことに成功していること、本邦内で本件覚せい剤を処分する役割を担当したHの手伝いをしたり、同行するなど行動を共にしていることなどを総合すると、本件の犯情は悪質であり、被告人の刑責には重いものがあるといわざるを得ない。

そして、所論の(1)について、原判決は、補足説明の項で、被告人が本件犯行に至るまでの経緯に関しては、Cから脅迫を受けて本件覚せい剤の輸入に及んだという被告人の供述内容に沿う事実があったと認めざるを得ないとし、また、量刑の理由の項で、共犯者Cの脅迫を受けたことも本件犯行の動機となっていることも考慮する旨明記しているところであって、これをも十分考慮に入れた上で刑の量定をしていることが認められる。ただしかし、関係証拠によれば、被告人がCから本件密輸を脅し交じりに持ち掛けられたというのは、昭和六三年三月一〇日ころというのであり、本邦への本件物の密輸入が行われたのは同月二八日であって、その間一八日間もあるところ、被告人は台湾にあるアメリカの関係機関に訴え出て保護を求めるとか、Cを除く台湾在住のアメリカ人にその窮状を訴え、救いを求めるとか、あるいはアメリカ本国の肉親や関係機関、友人らに至急架電してその打開策・救助方を要請するとかした形跡が全く窺えないのであって、被告人が本件で逮捕されて以来、本国の肉親等と連絡を取り、アメリカの上院議員や政府機関関係者、その他多数の人々に、被告人の支援を要請していることからみて、被告人がCの脅しに重大な脅威を感じ、あるいはCの依頼を真剣に拒否する意思があったならば、右一八日間に被告人が逮捕後にとったと同様の措置がとれた筈であり、また、本邦に入国後においても日本の関係機関や在日のアメリカ合衆国の各機関に自己が無理やり犯罪に引き込まれたことを訴え保護を求め得たにもかかわらず、被告人は全くそのような行動をとっていないばかりか、その後もCの指示に従ってHと行動を共にし、本件覚せい剤を詰め直すのを手伝ったり、Hが覚せい剤を譲渡する先まで同行していること、逮捕された後も直ちに警察官等に対してCらの組織からの救出を求めてはいないこと等の諸状況に照らし、右事情を余り過大に評価することは相当でないといわざるを得ない。

所論の(2)について、なるほど、二〇〇〇ドルの報酬を得る目的で犯行に及んだHに対する原審の判決は、懲役六年及び罰金三〇万円であるところ、同人は、営利目的による原判示第二の被告人との覚せい剤約二キログラムの共同所持の事実で右の刑を言い渡されたのであって、これに対して被告人は、それ以外に約三キログラムもの大量の覚せい剤の密輸入の事実があるのに、その量刑が懲役刑につきHと僅か一年の差の懲役七年にとどまったのは、被告人に覚せい剤の共同所持につき営利目的を認めなかったほか、有利な情状を最大限考慮したからにほかならないものと認められ、Hの刑に比較し被告人の刑が重過ぎて不当であるとは認められない。

してみると、被告人が本邦に密輸入した覚せい剤約三キログラムのうち、約一キログラムは本邦内に流れてしまったが、その余の約二キログラムは押収され、拡散されずにすんだこと、被告人には前科前歴がないこと、被告人には心臓病の既往症があること、両親や親族をはじめ、友人・知人等多くの関係者が被告人の身を案じて多数の上申書を提供していること、被告人の実姉が被告人のためアメリカから原審公判廷に出廷して情状証人として証言していること、被告人の台湾における女友達も被告人の身を案じて台湾から当公判廷に駆けつけていること、その他記録から窺われる被告人のため酌むべき情状を最大限考慮してみても、本件は、所論のように刑の執行猶予を付することができるような情状の軽い事案とは到底認められず、被告人を懲役七年に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条により当審における未決勾留日数中二〇〇日を原判決の刑に算入し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文を適用してこれを被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 寺澤 榮 裁判官 朝岡智幸 裁判官 堀内信明)

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